プロフィール

Profile

名前: Hitomi / ひとみ
好きなもの/趣味:
旅、英語、コーヒー、おいしい物、お酒、海、南国、
自由、多文化、多種多様、自由、飛行機セール情報チェック
好きな言葉:
“The more that you read,the more things you will know.
The more that you learn,the more places you’ll go. ” 

ブログタイトル“Spice Up Your Life“は、
〜人生にスパイスのような刺激を〜という意味が込めてあります。

一歩「エイッ」って海外へ踏み出したら、人生が一変。
刺激的なもの、時にはスイートだったり、ビターなもの、いろんなスパイスが日常に加えられました。

27歳の時、海外へでることを決意。
アラサー“, “英語ゼロ” で更に “人見知り” だった私。
語学留学から始まり、それからは今まででは体験できなかった人生を歩むことに。
山あり谷ありを繰り返しながら価値観がぶっとぶことばかりで人見知り性格はどこかにいってしまいました。

もういい歳だしな〜とかで留学に行くか迷っていたり、他にも何かしら同じ状況のだったり、はたまた旅行ラブだったりと、何か共有できたり少しでも背中を押せたりお役に立てる情報を自分なりに発信する場を作りたいプラス、自分の発信の場としてブログを始めました。
私が海外へ行くことを決めた時に同じ状況の方のブログ記事にすごーく勇気づけられたから❤︎

このブログを通してたくさんのご縁があることを楽しみに、日々更新していきます。

今までの経歴を一言で説明するのがとても難しく、何者なのか詳しいプロフィールを作りました^^

目次

第1章〜海外行きを決断するまで〜

田舎育ちの人見知り

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1986年生まれ、田舎で育ちました。

母曰く、
「あなたは人の前を目をつぶって歩かなきゃいけないくらい恥ずかしがり屋だったのよ。」

幼少期は常に人の影に隠れるくらい人見知りだったそうで、心配した時期があったそう。

学生時代も相変わらず気を遣いすぎる性格で、人見知りでした。

ただ、極端にテキトーと真面目が混ざってる性格もあって、
コレッ!みたいなものが見つかると、シャイな性格はどこかへいき、とにかく勢いがすごくて。

中学時代は吹奏楽部で、
なぜか部長へ立候補し部長をやることに。県大会金賞受賞!

高校時代は野球部にはまり、マネージャーに。
本気で甲子園に行けると信じ朝から晩まで頭が部活づくし。青春時代をほぼ野球部に捧げる。

この頃は海外や留学に興味なし。
英語を特別勉強していた訳でもないし、
むしろ留学は都会の金持ちがするものだと勝手に思ってたし、海外への興味もなし(笑)

どっぷり平和に田舎で暮らし18才高校卒業後、美容師になる夢と希望を持ち上京。

挫折づくしの、さだまらない20代前半

上京後は専門学校で2年勉強後、美容師として就職。
が早々と辞めることに。
働き方自体にいつも疑問を持ちつつも、要は甘ったれでした。

その後、地元に帰り1年程フリーター。
自分のやりたい事がわからず悶々して、更に高いお金をだして専門学校へ行かせてもらったのにアルバイトしてる私…両親への罪悪感と葛藤。
かなりの暗黒時代でした。

結局1年後また東京へ。
その当時18才から付き合っていた彼と同棲。

アルバイトで不安定な収入に疲れ、土日休みで安定した事務で働きたいと思うように。

高校が商業科で簿記検定とパソコンの検定などをとっていたこともあり(今思えば感謝で)23才当時、契約社員で大手携帯会社のオフィスで働くようになる。

ここで4年間勤務することになる。
買いたいものが買え、旅行もたまに行けるようになり土日は彼と過ごす。
という、いたって『平和で平凡な生活』を過ごしていました。

転機になる出会い&海外ドラマ

事務で4年間働いている間、会社の中で今まで出会ったことのない大人達と出会うことに。

20代前半は、まだまだ世の中のこと知らないことばかりの中、30代が多かった職場で仲良かった経験豊富なお姉様方が、
『海外在住経験者/ワーホリ経験者』でした。

田舎で育った私はそういう経験を持つ大人と出会う機会は今までなく彼女たちの海外生活の話は、とても新鮮だったのを覚えています。

私の人生の中で「海外」やら「ワーホリ」とは無縁と思ってたし、夢のまた夢物語と思っていました。

でも職場でお姉様方の話を聞いているうちに「あれ?私も行ける?のか?」と思うように。

その頃、洋楽とアメリカンドラマにドハマりしていた私。

字幕なしで理解できたらどんなにいいんだろう、
英語かっこいいな〜、
アメリカの自由な文化、
考えをしっかり主張する文化、
多種多様でラフさなどにドラマからすごく憧れを抱いてました。

一方私の性格は正反対
シャイで、
極端に気を遣う性格で、Noと言えない自分自身の性格に疲れ果てていました。

何より、このまま20代を終えていいのかな…

とにかく何かを変えたくて本気で海外へ行くことを考えるように。

“フィリピン留学”との出会い

ワーホリについてネットで調べ始めてみたんです。そこで出てきたのが、コスパ最強の”フィリピン留学“。

留学は手が届かないくらいのお金が必要と思っていたのに、フィリピンの英語語学学校はかなりお手頃。

「あれ?もしかして私でも貯めたら留学できちゃう?」

実際に留学エージェントの説明会に参加すると、どんどん現実味が増していきました。

そもそもオーストラリアやカナダ、他のワーホリ国の語学学校は生活費を含めると費用がとても高く、留学資金を貯めるのに時間がかかりすぎる。
その費用の大半を占める語学学校分を安いフィリピンで行ってしまい英語を学んでからオーストラリアに行く。
という計画だと
かなり現実味のある費用になりました。

アラサーからのワーホリ行き決定!必死の貯金生活

そしてフィリピン留学3ヶ月とオーストラリアでワーホリ行きを決断!

そこから1年間必死の貯金期間を経て、留学へ行く時はすでに28才手前。
アラサー…

正直決めるまでは不安だらけで、
「仕事を辞めること、安定の生活を捨てること、私なんかが海外でやってけるのだろうか、大学生とか若い人ばっかりだろうな…」
そして英語0だったことに対しての不安。

けどやっぱり何か自分を変えたくて。

今思えば27才ってまだまだ若いって思えるけど、その当時はもうアラサーだしとかそろそろ結婚しなきゃいけない年齢とか思っていて。

けどね、

『私が30代になった時、20代って若くて何でもできていいな〜って思うだろうなー』

『私が40代になった時、30代って若くて何でもできていいな〜って思うだろうなー』

って思ったら今だ!って決断。

同じ仕事を続けながら必死の貯金生活開始。

決断って決めて断つでしょ、徹底的に断ちました。
それまでは服や交際費に好き放題に使っていたものをいっさい無駄な出費は削り、服は買わない、さらに飲み会などの誘いも断り続け必死に貯め続けました。
この1年間はストイックに貯金を続け楽しみとしては海外ドラマを見ること、以上!

節約生活でも海外へ行く夢を思い出したら、なんだって耐えられた。

4年間も事務として働くも自分の人生に疑問を感じ違和感満載。自分が何かでいっぱいいっぱいで時限爆弾のようで
お昼休みはとにかく会社という箱の中から出たくて、いつも外で持参のお弁当を食べてました。
今思えば人生の転機だったんだなって思います。

そして27歳、初めての留学。ついにフィリピンへ!

第2章〜海外生活編〜

英語0からのセブ語学学校生活スタート

初めての海外生活スタートinセブ。

多少勉強してくればよかったと後悔は虚しくレベルは一番下のクラスからスタート。
全く授業についていけず。チーンw

セブでの語学学校は韓国資本の学校『CIA』というセミスパルタの学校へ。
韓国人と日本人が半々くらい、台湾人が数人の環境でした。

海外生活は何もかも初めて他の国の友達ができるのも初めて、全てが今までの生活とガラッと変わり新鮮で、久々の学校生活も学びたいことに時間をかけて勉強できることがまぁ嬉しくて。

平日は8時間みっちり勉強。4時間マンツーマン/4時間グループレッスン、1時間自習、夕ご飯の後はさらに自習。
それでも英語の勉強をして日に日に理解できるようになることが実感でき、すごく楽しく。

 

土日は海へ出かけたり、ショッピングへ出かけたり、スキューバダイビングの資格をとったり、
今までの生活とは180度ガラッと変わり、まぁ充実しすぎてました。


滞在期間は3ヶ月。

3ヶ月目になると英語で基本的な質問ができたり簡単な英語を話すことに対しての抵抗はなくなってました


セブでのたった3ヶ月間で今までの1年間くらいの充実した時間を過ごし、短期間で
たくさんの人との出会いと別れ、それも含め今までにない初めての体験づくし

そして卒業、一旦帰国後すぐオーストラリアワーホリへ。

価値観が180度変わったワーホリ@Asutralia

バイロンベイ(Byron Bay)

オーストラリア最東端の街バイロンベイという小さい街でスタート。

この街で過ごした時間は一生の宝物になり、ここでの人との出会い・経験・失敗・恋愛すべてが私の凝り固まった価値観を180度変えました。

今までとは全く違う文化、そして着いていきなり男子だけのシェアハウス生活から始まり、その後もたくさんの国からきたみんなとの珍生活。

「伝えないと伝わらない」それでも英語で伝えられない悔しい思い

様々な生き方をしてる人との出会いで、
あっ、私これでいいんだ。」って気づいたりとか。

この年齢で仕事を辞めてきたことに対して(一般的なレールから外れた生き方?)どこかしら罪悪感というか嫌悪感を持ってる自分がいて、それが一気に間違いじゃなかったって思えたり。

とにかくここには書ききれない程のたーくさんの経験と気づき、そして、

28才で初めて「はー生きてるーー!」って心から思えた場所。

留学行く前に思い描いていたことがここで現実になり、様々な国の友達ができ、もう話すことが楽しくて楽しくて勉強なんかせず、遊んでひたすらスピーキングをし英語を上達させました。

数ヶ月後には、奇跡的にウェイトレスの仕事もゲット。
まさか英語学習始めてから半年ほどで英語を使って自分が働くとは思いもしてませんでした。

とにかくたくさんのミラクルがこの街で起きて、その全ての経験が私の財産になっていきました。

コフスハーバー(Coffs Horbour)

バイロンベイの後は、ファームへ移動。

セカンドワーホリをゲットすべくファーム生活突入。

なんの仕事のあてもなくコフスハーバーという街に移動し、ブルーベリー&ラズベリーファームで働くことに。

そしてほぼ4ヶ月のファーム生活。
ここでの濃〜い毎日も、重労働も、いろんな国からきているワーホリワーカー達と一緒に働いたことも全部いい思い出。

後に、ここで出会った友達イタリアングループと日本で再開、さらにイタリアで再開し、本当に感慨深いです。

ファーム後は西オーストラリアのパースへ移動し少し滞在した後、バリで旅行して帰国。

オーストラリアでの1年間で価値観が180度変わり性格は人見知りどころか、かなり図太くなり、人生観が変わり、英語を習得したことで世界観が変わりました。

なんか大袈裟な表現かもしれないけど本当にこのオーストラリアをきっかけに私自身が変わり、そして出会う人、仕事、生活と、とにかく平凡とはかけ離れた刺激的な毎日になっていくことに。

帰国後の仕事&国際恋愛

帰国し、セカンドワーホリでもう1年オーストラリアに住みたい気持ちがあったので貯金する為バイト生活スタート。

この時すでに29歳。
この歳でバイト…。かなり偏見の目もありました。けど気にしない❤︎

インバウンドで外国人観光客向けのレストランで働くことに。
ボスのアシスタントとして開業前からの準備、オープンしてからはレセプショニストとして外国人顧客の予約管理、案内だったり、メニューの翻訳やら英語と日本語でのSNS運営など幅広く挑戦する機会をもらいました。

ここでのボスとの出会いやファンキーな仲間との出会い、ご縁に本当に感謝の一言で。

そんな中、プライベートではフランス人彼と出会い、付き合うことに。
数ヶ月後、彼が仕事の任期を終えて帰国、遠距離恋愛スタート。

まさかのフランスはボルドー暮らしスタート

ワーホリのセカンドビザでオーストラリアへ行く予定をフランスに変更。

話し合いの結果、フランス人彼の住む街、ボルドーで生活をスタートしました。まさか人生の中で自分がフランスに住むなんて思ってなかった、この展開w

なんだか本当に人生ってどうなるかわからないです。

この年は、フランスから近いイタリアとスペインへ旅行することもでき、更にオーストラリアで出会ったイタリア人の友達とも再開

夢だったイタリアとスペイン旅行ががいきなり叶いました。

そしてフランス滞在は観光ビザだったため、3ヶ月住んだのち帰国することに。
遠距離恋愛アゲインとなるわけです。

 

第3章〜恋愛と気づき〜

1年半の国際遠距離恋愛

フランス帰国後は、毎日ビデオチャットで1年半の間遠距離恋愛を続けてました。

まさか自分がこんなに長く遠距離恋愛ができるなんて思ってもいなかった。

私たちの目標は一緒に住むこと。仕事の関係とかビザとか難しいことがたくさんあって中々フランスで一緒に暮らすことに時間がかかってました。

最後に会ってから1年経った頃、待つことだけが中心の日々に疲れ果て、ようやくここで待ってるだけじゃダメなんだって気づいたんですよね、ようやく。

プログラミングを学びたい!

辛いよーって待ってるだけの日々は終わりにしよう。

自分のやりたいことを始めよう、彼を待つだけじゃなくて自分にフォーカスしよう、ってここでようやく気づいて。

プログラミングを学んでみたい。

そう思ったのは、フランスで暮らしていた時に感じたこと、英語が話せてもフランス語ができないと働くことが難しいということ。

「住む国に関わらず働けるスキルがあったらな〜」

将来日本に住んでも、どこかの国に住んでもネットとパソコンさえあれば働けるスタイルを確立できたらどんなにいいんだろう。

これはずっと漠然と頭にありました。でも行動にはしてなくて。

そんな中、『デジタルノマド』という言葉に出会い、その人たちの生活をYouTubeで見て衝撃を受けた。

これだ

確かによく言う、『パソコン1台でどこでも稼げる』とかって怪しいな〜とかもあったけど、でも実際そうやって働いている人はたくさんいて、何より英語とITスキルさえあれば無敵なんじゃないかと思った。

英語で何かを学んでみたい。

プログラミング言語は英語。
調べて、フィリピンにIT留学というものを発見。行くしかない!とりあえず行ってみよう!と、なったのです。

関連記事➡︎プログラミング初心者の私が、わざわざセブでIT留学している理由

関連記事➡︎セブIT留学。費用ってどのくらい?無料でいけるの?節約技も公開するよ

IT留学スタート

Kredo(クレド)というセブのITパークにある学校で2ヶ月半勉強しました。


基礎からスタートし毎日学校に残っては、ひたすらコーディング。

難しいけどやりがいがあって、さらに授業が英語で説明されるから難しいけど楽しくて。

周りはもちろん大学生や若い子ばっかり。

でももう、この頃には年齢とか気にしないようになってました。むしろ大学生と話す機会て、普段ないから楽しく。
この時1番仲良くなったのは16歳で留学にきていた子。当時、中学3年生。

1回目のフィリピン留学の時は英語が話せず先生ともっと話したくても話せなかったけど、
2回目は、先生とコミュニケーションがとれ、一緒に出かけたりできることがとても嬉しかった。

史上最大のどん底。大切な人との別れ。

IT留学中も彼との遠距離恋愛は続いてました。

が、事態は突然起こって

おじいちゃんの訃報とフランス人彼とのお別れが同時にやってきました。

帰国前にフィリピンの小さい島、ボラカイ島に友達と旅行していたんです。が、

滞在中、母から「おじいちゃんが亡くなったと。」連絡が入りました。
即、フライト変更をし帰国。

少しでも早く帰りたい、正気を保たななければいけない気持ち、でも帰路はずーっと飛行機でも新幹線でも涙が止まらず、おじいちゃん家に着いてからもずっと涙が止まりませんでした。
フィリピンの留学前に、すぐ帰ってくるからと生前、おじいちゃん家に会いに行きませんでした。
なんで会いに行かなかったんだろう。後悔ばかりが残り。

そして、おじいちゃんとのお別れの数日後、

空気読まない彼から別れたい発言。
理由は、好きな人ができたとのこと。しかも彼の会社のインターンの子と。

1年半の間、大喧嘩しても何度ダメだと思ってもお互い諦めなかったのに、終わりってこんな形でくるんだなって。

それからはもう、どん底

人生でこんなに悲しいことってあるんだ。
何も食べれない、
誰とも会いたくない、
外に出たくない、
一日中、何をしてても涙が止まらない状態。貧血でふらふら。自分でもびっくりするくらい落ち、1ヶ月間ずっと実家にこもってました。

失恋の経験はあったけど大失恋てこのことを言うんだなって初めて知りました。

復活。ゼロからのスタート。

悲しみまくった1ヶ月、だんだん涙も出なくなってきます。

ようやく少し前向きになってきた頃、東京の友達に会いに行きました。一緒に飲んで泣いて笑ってくれる人たちがいて、どんだけ励まされたか。

セブから帰国後に2つの別れ。
実は、IT留学の後はフランスの予定でした。苦労してようやくビザもとれて、海外保険も購入済みでした。


32歳、仕事も恋愛もぜーんぶゼロになりました。

……

「よし、もう一回全部ゼロからスタートしよう。」

彼と別れて気づいたこと。
自分の人生の舵取りを全て他人頼りではダメだ。
恋愛していても私の人生は私がどうなりたいかを決めないと。

この出来事を通して自分自身に本気で向き合えました。本当はどうなりたいのか、今後どうしていきたいのか。

『どこでも働けるワークスタイルを確立したい。』
『もっと自分を発信したい。』

この気持ちは変わらず強くあった。そしてこれを実現するために東京戻ろう!と決心。

決断してからは即仕事を探し、念願の外資IT企業で英語を使える仕事をゲット。
私が!?!?この企業で働いていいの?ってくらい奇跡が起きました。

バタバタと引っ越し、家具を買う時間もなくとりあえず、シェアハウスからスタートすることに。

 

第4章〜Next Stage〜

アラサー独身東京ライフ

会社が始まってからは毎日必死についていこうと働きました。
仕事に慣れた頃、ようやくアパートへ引っ越し。そして都内のずっと住みたかった街に住めることに。

仕事も慣れ生活も落ち着いて、プライベートはデートすることも増えていきました。傷つく恋愛も多々ありで。

いろんな新しい出会いと、別れ、それで新たに気づいたり学んだり。

再び東京での独身生活。

30代になって何かすごく焦ってる自分が恋愛で空回りしたり、一人暮らしで寂しかったり、自分で楽しもうとしてみたり。
新たな葛藤などがありました。けどその度に学んでどんどん考え方が軽くなってきたんです。

YouTubeも始めました。

そしてこの東京会社員生活、約1年半続いたんですが最終的に気づいたこと、私は会社員合わなすぎる、フリーになりたい
そして、やっぱり海外住みたい

会社を退職

もう自分に正直に生きることを決めた瞬間、よし辞めよう。

会社でかなり病んでいた上に、さらに家でも不審者が出るなどして心身ともに崩壊寸前でした。

2020年、会社を退職し、地元に戻ってきました。

私は海外に住みたい。この気持ちが抑えられず、予定では海外で住む場所探しの旅に出ようという計画でしたが、コロナで延期しています。

そしてまた発信をしたい気持ちが強くなりこのブログ、YouTubeで発信していきたいと思っています。

最後に❤︎


だいぶ記事が長くなりました。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

数年前、一歩海外に出てからの人生が濃すぎて、どうやってまとめたらいいかわからずこんなに長くなりました。

この数年間で起きたことで価値観がぶっとんで、出会いと別れを繰り返し学び、私の人生が変わっていきました。

そのいろんな体験や気づき、学びなどをこのブログを通して発信していきたいです。

初めての海外生活。
価値観がぶっとんだ数々の経験と出会い。そして初めて「自分らしく生きてるー」って感じた。

帰国後の国際恋愛。
予想もしなかった自分がフランスに住むこと。

そして遠距離恋愛と大失恋。
そこでようやく自分自身に正直に向き合えて気づいた学び。

東京でゼロから再スタート。
新たな出会いが待っていて出会う人達も変わっていきファンキーでエネルギッシュな人と会えるように。

私は、かなりの海外かぶれっていうのも知ってる。だけどそれが私で。
俗に言う普通が嫌い。もっともっと視野を広げたいし、やりたい事もてんこ盛りある。

今まで自分自身を認めるまで、時間がかかり葛藤があってだいぶ遠回りしてきました。
会社で毎日普通に働き普通に暮らすことが、もう私にはできないんだなって素直に認めれるように。

語るとけっこう熱くなってしまいますが、
このブログを通じて何か同じように悩んでいる人達とか同じ境遇の方、たくさんの方々と共有、少しでもお役に立てるようになりたいと思っております。

Spice Up Your Life…人生にスパイスを…❤︎

Lots of love,
Hitomi